指の先から破壊光線

月曜の朝までに考えておくこと

記憶力の話

使わなくなると、使えなくなるものがけっこうたくさんある。記憶力もその類いのものだと思う。

 

小学生の時、よく遊びに行く友達の家の電話番号を覚えていた。たぶん五件くらい。それから祖父母の家と、母親の携帯。クラスメートの誕生日も覚えていて、プレゼントを買いに行ったりした。祖父母はもちろん、いとこやおじさんおばさんの誕生日にはFAXを送った(めちゃめちゃ懐かしい響きだ)。手帳なんか持ってなかったから、全部記憶していた。語呂合わせなんかもなかった。数字の並びをそのまま覚えておく方が簡単だった。

 

あれから一昔ぶんの時間が経過して、電話番号は電話帳が代わりに覚えてくれるようになった。誕生日はfacebookが教えてくれるし、遊びの約束はLINEに残っている。世界史の年号は、なぜか語呂合わせと一緒に提示されて、数字そのものが覚えられるわけないでしょ、と言われている気持ちにさせられる。そんなわかりづらい語呂、ない方がましなんじゃない、とは言えそうにない。

 

数字を覚えておく必要がなくなって、わたしはだんだん数字を覚えなくなってきた。実験ノートを書くのに、間違えたらまずいので何度も確認するようになったのも原因な気がしている。何度も確認することが癖になっていて、一度見たものを覚えていられないのだ。

 

記憶力にもいろいろ種類があるけど、ストーリー性のあるものの記憶はまったくできない。無意味な数字の羅列みたいなものの方が(たとえ昔よりできなくなってしまったとしても)よっぽど得意だ。話を覚えていられないのは日常生活にはめちゃめちゃに支障があるけど、数字を覚えていなくても大してダメージはないし、できれば逆がよかったなあと思う。

 

話を覚えられないことのメリットは、同じ本を何回でも読めることくらいかもしれない。なにせ話を覚えていないので、何回読んでも同じように楽しい。

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