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指の先から破壊光線

月曜の朝までに考えておくこと

家を持つのら猫

研究室がある建物に、猫が住み着いている。

 

いつからいるのか、誰に聞いても正確にはわからない。十年前くらいかなあとか言う人もいるし、もっと前からいた気もしますよとか言う人もいる。さすがにまだ化けてはなさそうだから、十年より前からいた猫は別の猫なんじゃないかと思うけど。

 

研究棟に住む人間は毎年毎年入れ替わって、いろんな情報が更新されたり更新されなかったり、伸びたり薄くなったりねじれたりちぎれたりする。猫は引継ぎ資料の隙間をそっとくぐって、寝床とごはんとたくさんの名前を与えられて生きてきたんだと思う。

 

最近、その猫が新しい子猫を連れてきた。連れてきたというか、どうも迷子になったかどうかした子猫が、雨風をしのぐ場所を探すうちに古株の猫についてきてしまったらしい。はじめの一週間くらい、その小さくてぼさぼさの子猫は、人間を見るとすぐに逃げ出していた。でもしばらくすると戻ってきて、段ボール箱の隅にうずくまっているのを、行き帰りになんとなく見ていた。

 

猫が増えたという話は、同じ研究棟の中ですぐに広まった。あちこちの研究室の人たちが、てんでんばらばらに子猫の名前を考えているのが、ちらほらと聞こえるようになった。カリカリを入れるお皿がひとつ増えた。猫釣りおもちゃが、段ボール箱の近くに置かれていた。子猫が人間を見ても逃げなくなって、研究棟はちょっとした子猫ブームだ。

 

古株の猫を、今までただ「猫」と呼んでいた私は、少し困ってしまった。外階段の猫がね、といえば通じたのに、猫は二匹になってしまった。でも、自分で飼ってるわけでもない猫を、自分のお金でカリカリを買ったり、寝床の中の毛布を干したりして世話しているわけでもない、ただ生活圏がかぶっているから眺めているだけの猫を、名前を付けて呼ぶことは、なんとなくそぐわない気がした。

 

家の庭に遊びに来るとか、おやつの煮干しをわけてやるとか、そういう関係だったら、私はなにか名前を付けられたんだろうか、と考えたけど、私は結局「猫」と呼ぶと思う。たぶんそこには、猫とのちょっとした心の距離があって、その距離は動物への苦手意識とか、いくつもの名前で生きていくたくましい猫への敬意とか、よその子への遠慮とか、そういうもので構成されてるんだと思う。

 

今、誰かに二匹の話をするときは、「大きい猫」と「小さい猫」と言う。みんな、思い思いにつけた名前で、「ああ、○○ね」と猫たちを呼び分ける。その人たちの猫への距離は、私の猫への距離よりもずっと近いし、それは別にいいことでも悪いことでもないと思う。アパートのお隣さんとか、そういう感じかもしれない。お隣さんがほんとに猫だったら、人生楽しい気がするけど。