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指の先から破壊光線

月曜の朝までに考えておくこと

ごあいさつ

あけましておめでとうございます。

 

卒研が山場を迎え、週一文章を書くのも怪しいのかと悲しくなりますが、今年も頑張って月曜更新して行きたいと思います。新年の抱負です。

 

今年の目標とか考えるのは苦手だけど、三日坊主の天才だけど、その分なにか毎日頑張ることを考えて生きていける気がします。

 

鳥頭でも頑張れることを証明したいものです。

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夜行バスに乗る

実家に帰るのに、一番安い手段が夜行バスになってしまったので、帰省はもっぱら夜行バスである。

 

使い始めた頃は、夜寝てる間に運んでくれるなんてすてきと思ってたし、何にも困ったことはなかったけど、最近になっておしりが痺れるようになった。すごいしんどい。べつに最初の頃から痩せたわけじゃないので、骨が当たってるとかでもないし、なんだかわからないけどつらい。

 

次乗る時は座布団でも持ち込もうかといつも考えるけど、行き帰りのためだけにかさばるものを持って歩くのもいやだ。なにより、座布団持って東京を歩きたくない。田舎者だから、おしゃれなところにはおしゃれなものしか持っていけないと思っている。

 

で、ちょっと考えたのが、子供用の浮き輪を座布団がわりに持ってくのはどうかっていうこと。これなら空気を抜けばかさばらないし、乗る時にちょっとふくらませれば座れるんじゃないかと思ったのだ。来年の夏まで覚えてれば、ちょっと試したい。

ひらがなのひ

万年筆への憧れっていうのが、ちょっとだけある。

 

こないだ、友人の家で万年筆を見つけた。新品のpreppyで、大学のロゴが入っていた。「入学した時にもらったのかな」と言っていた。私はもらってないから、たぶん、学科かなにかのセミナーでもらったんだろうね、と二人で話した。

 

ちょっと書いてみたいんだけど、と言うと、友人は『万年筆 使い方』で検索しはじめた。几帳面である。「インクの取り付け方がわかんないよね」と一生懸命スマホをぽちぽちしている友人を尻目に、勝手に万年筆を分解して未開封のインク入れを取り出した。ちなみに、この万年筆は友人のものである。

 

インク入れは黄色のうすいプラスチックで、入り口に銀色のボールがはまっていた。「キャップの代わりだね、でも取り出せなさそう」ちらりとボールを見た友人は、まだスマホをぽちぽちしている。ペン先のついている方を眺めてみた。ちょうど、インク入れの入り口にはまりそうな太さの、切れ目の入った軸があったので、勝手にインク入れに押し込んだ。ちなみに、この万年筆は友人のものである。

 

押し込まれた銀色のボールが、インク入れの底に当たる音がした。「もうつけちゃったの?」友人はスマホを置いた。万年筆を組み立て直して、書いてみようとしたが書けない。友人も試してみたが、全然インクが出ない。今度は私がスマホをぽちぽちする番だった。

 

「インクがペン先に到達するまで少し待ってください、だって」友人はふうん、と言って、紙の上に無意味な跡をつけていた。インクはまだ出ない。しばらくそうして遊んでいると、友人が「あ」と言った。「書けたよ」「貸して」私は万年筆を渡してもらって、何度か丸を書いた。友人は黙って見ていた。ちなみに、この万年筆は友人のものである。

 

そのあと、学校でもらったアンケート用紙の裏に、ひらがなをずっと書いていた。新しいペンを試すのは、ひらがなを練習するいい機会だと思っている、その日は、ひらがなの「ひ」がうまく書けないので、「ひ」だけ三十個くらい書いた。その次にたくさん書いたのは「む」で、これも十個くらい書いたけど、難しくて飽きたので、満足する出来栄えになる前にやめた。

 

「楽しそうだね」友人は、またスマホをぽちぽちしていた。私はずっとひらがなを書いていた。万年筆は今、私の筆箱の中に入っている。重ねて言うが、この万年筆は友人のものである。

サンタさんにちょっと聞きたいことがあった

サンタさんが来なくなって何年もたつけど、それでもクリスマスはやってくる。

 

十二月というものに、小さい時ほどときめかなくなりました。どちらかというと八月の方が好きかな。夏休みだし。

 

クリスマスがあって、その一週間前が誕生日なので、子どもの頃は十二月が一番好きでした。父の誕生日もあるし、プレゼントが二回ももらえて、ケーキが三回食べられるから。兄弟の誕生日が近かったり、クリスマスと近かったりすると、お祝いは一緒にされちゃってケーキは一回だけ、なんて友達の悲しい話もよく聞いたので、母に聞いたことがある。

 

「なんでうちは、十二月はケーキが三回なの?一緒にしないの?」

「誕生日は生まれてきてくれてありがとうの日で、一人につき一年に一回しかないんだから、一緒にしないんだよ」

「クリスマスも一年に一回だよ」

「クリスマスは全然関係ない人の誕生日だし別よ。うちはキリスト教じゃないし、お母さんが鶏焼いたりケーキ作ったりしたいから勝手にやってるだけ」

 

前半と後半の落差が半端なかった。「クリスマスは勝手にやってるだけ」の衝撃はすごかった。でも確かに、ごはんの前と寝る前にお祈りしたりしないし、教会に行ったりしないし、キリスト教徒の大事な日も仏教徒にとっては何でもない日なのだ。

 

でも、キリスト教徒じゃない私のところにもサンタさんはやってくる。おりこうにしてたらプレゼントをくれるらしいけど、お祈りしたり教会に行ったりしない子どもたちのおりこう度はどうやって測ってるんだろう。それも気になってついでに母に聞いたら、「お母さんが手紙書いてんの」と返ってきた。

 

「英語で?」と私は聞いた。サンタさんが日本人じゃないことは知ってたからだ。「英語で」母は何でもなさそうに答えた。私はまだ食い下がって、「お父さんもお母さんも英語が書けないおうちはどうするの?」と聞いた。「サンタさんの仕事を手伝ってる人があちこちの国にいんのよ」今度見せてあげる、と母は言った。

 

週末、ジャスコに連れて行かれた。そこには、サンタさんに手紙を書くコーナーがあって、日本語もまともに書けないような子どもたちがたくさん、テーブルに向かって座っていた。ニンテンドーDSがほしいとデカデカと書く妹と、準備された色鉛筆でぐちゃぐちゃの丸を書く弟の間に座って、私はグリーンランドに住んでいるというサンタさんの説明をずっと読んでいた。世界中の大人が、いろんな言葉で書かれた子どもたちからの手紙を集計して、サンタさんに届けている、とそこには書いてあった。

 

その大人って、ボランティアなのかな、と思いつつ、私は「ハリーポッターの新しい本をください」と書いた。日本語で。

家を持つのら猫

研究室がある建物に、猫が住み着いている。

 

いつからいるのか、誰に聞いても正確にはわからない。十年前くらいかなあとか言う人もいるし、もっと前からいた気もしますよとか言う人もいる。さすがにまだ化けてはなさそうだから、十年より前からいた猫は別の猫なんじゃないかと思うけど。

 

研究棟に住む人間は毎年毎年入れ替わって、いろんな情報が更新されたり更新されなかったり、伸びたり薄くなったりねじれたりちぎれたりする。猫は引継ぎ資料の隙間をそっとくぐって、寝床とごはんとたくさんの名前を与えられて生きてきたんだと思う。

 

最近、その猫が新しい子猫を連れてきた。連れてきたというか、どうも迷子になったかどうかした子猫が、雨風をしのぐ場所を探すうちに古株の猫についてきてしまったらしい。はじめの一週間くらい、その小さくてぼさぼさの子猫は、人間を見るとすぐに逃げ出していた。でもしばらくすると戻ってきて、段ボール箱の隅にうずくまっているのを、行き帰りになんとなく見ていた。

 

猫が増えたという話は、同じ研究棟の中ですぐに広まった。あちこちの研究室の人たちが、てんでんばらばらに子猫の名前を考えているのが、ちらほらと聞こえるようになった。カリカリを入れるお皿がひとつ増えた。猫釣りおもちゃが、段ボール箱の近くに置かれていた。子猫が人間を見ても逃げなくなって、研究棟はちょっとした子猫ブームだ。

 

古株の猫を、今までただ「猫」と呼んでいた私は、少し困ってしまった。外階段の猫がね、といえば通じたのに、猫は二匹になってしまった。でも、自分で飼ってるわけでもない猫を、自分のお金でカリカリを買ったり、寝床の中の毛布を干したりして世話しているわけでもない、ただ生活圏がかぶっているから眺めているだけの猫を、名前を付けて呼ぶことは、なんとなくそぐわない気がした。

 

家の庭に遊びに来るとか、おやつの煮干しをわけてやるとか、そういう関係だったら、私はなにか名前を付けられたんだろうか、と考えたけど、私は結局「猫」と呼ぶと思う。たぶんそこには、猫とのちょっとした心の距離があって、その距離は動物への苦手意識とか、いくつもの名前で生きていくたくましい猫への敬意とか、よその子への遠慮とか、そういうもので構成されてるんだと思う。

 

今、誰かに二匹の話をするときは、「大きい猫」と「小さい猫」と言う。みんな、思い思いにつけた名前で、「ああ、○○ね」と猫たちを呼び分ける。その人たちの猫への距離は、私の猫への距離よりもずっと近いし、それは別にいいことでも悪いことでもないと思う。アパートのお隣さんとか、そういう感じかもしれない。お隣さんがほんとに猫だったら、人生楽しい気がするけど。