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指の先から破壊光線

月曜の朝までに考えておくこと

ひらがなのひ

万年筆への憧れっていうのが、ちょっとだけある。

 

こないだ、友人の家で万年筆を見つけた。新品のpreppyで、大学のロゴが入っていた。「入学した時にもらったのかな」と言っていた。私はもらってないから、たぶん、学科かなにかのセミナーでもらったんだろうね、と二人で話した。

 

ちょっと書いてみたいんだけど、と言うと、友人は『万年筆 使い方』で検索しはじめた。几帳面である。「インクの取り付け方がわかんないよね」と一生懸命スマホをぽちぽちしている友人を尻目に、勝手に万年筆を分解して未開封のインク入れを取り出した。ちなみに、この万年筆は友人のものである。

 

インク入れは黄色のうすいプラスチックで、入り口に銀色のボールがはまっていた。「キャップの代わりだね、でも取り出せなさそう」ちらりとボールを見た友人は、まだスマホをぽちぽちしている。ペン先のついている方を眺めてみた。ちょうど、インク入れの入り口にはまりそうな太さの、切れ目の入った軸があったので、勝手にインク入れに押し込んだ。ちなみに、この万年筆は友人のものである。

 

押し込まれた銀色のボールが、インク入れの底に当たる音がした。「もうつけちゃったの?」友人はスマホを置いた。万年筆を組み立て直して、書いてみようとしたが書けない。友人も試してみたが、全然インクが出ない。今度は私がスマホをぽちぽちする番だった。

 

「インクがペン先に到達するまで少し待ってください、だって」友人はふうん、と言って、紙の上に無意味な跡をつけていた。インクはまだ出ない。しばらくそうして遊んでいると、友人が「あ」と言った。「書けたよ」「貸して」私は万年筆を渡してもらって、何度か丸を書いた。友人は黙って見ていた。ちなみに、この万年筆は友人のものである。

 

そのあと、学校でもらったアンケート用紙の裏に、ひらがなをずっと書いていた。新しいペンを試すのは、ひらがなを練習するいい機会だと思っている、その日は、ひらがなの「ひ」がうまく書けないので、「ひ」だけ三十個くらい書いた。その次にたくさん書いたのは「む」で、これも十個くらい書いたけど、難しくて飽きたので、満足する出来栄えになる前にやめた。

 

「楽しそうだね」友人は、またスマホをぽちぽちしていた。私はずっとひらがなを書いていた。万年筆は今、私の筆箱の中に入っている。重ねて言うが、この万年筆は友人のものである。

サンタさんにちょっと聞きたいことがあった

サンタさんが来なくなって何年もたつけど、それでもクリスマスはやってくる。

 

十二月というものに、小さい時ほどときめかなくなりました。どちらかというと八月の方が好きかな。夏休みだし。

 

クリスマスがあって、その一週間前が誕生日なので、子どもの頃は十二月が一番好きでした。父の誕生日もあるし、プレゼントが二回ももらえて、ケーキが三回食べられるから。兄弟の誕生日が近かったり、クリスマスと近かったりすると、お祝いは一緒にされちゃってケーキは一回だけ、なんて友達の悲しい話もよく聞いたので、母に聞いたことがある。

 

「なんでうちは、十二月はケーキが三回なの?一緒にしないの?」

「誕生日は生まれてきてくれてありがとうの日で、一人につき一年に一回しかないんだから、一緒にしないんだよ」

「クリスマスも一年に一回だよ」

「クリスマスは全然関係ない人の誕生日だし別よ。うちはキリスト教じゃないし、お母さんが鶏焼いたりケーキ作ったりしたいから勝手にやってるだけ」

 

前半と後半の落差が半端なかった。「クリスマスは勝手にやってるだけ」の衝撃はすごかった。でも確かに、ごはんの前と寝る前にお祈りしたりしないし、教会に行ったりしないし、キリスト教徒の大事な日も仏教徒にとっては何でもない日なのだ。

 

でも、キリスト教徒じゃない私のところにもサンタさんはやってくる。おりこうにしてたらプレゼントをくれるらしいけど、お祈りしたり教会に行ったりしない子どもたちのおりこう度はどうやって測ってるんだろう。それも気になってついでに母に聞いたら、「お母さんが手紙書いてんの」と返ってきた。

 

「英語で?」と私は聞いた。サンタさんが日本人じゃないことは知ってたからだ。「英語で」母は何でもなさそうに答えた。私はまだ食い下がって、「お父さんもお母さんも英語が書けないおうちはどうするの?」と聞いた。「サンタさんの仕事を手伝ってる人があちこちの国にいんのよ」今度見せてあげる、と母は言った。

 

週末、ジャスコに連れて行かれた。そこには、サンタさんに手紙を書くコーナーがあって、日本語もまともに書けないような子どもたちがたくさん、テーブルに向かって座っていた。ニンテンドーDSがほしいとデカデカと書く妹と、準備された色鉛筆でぐちゃぐちゃの丸を書く弟の間に座って、私はグリーンランドに住んでいるというサンタさんの説明をずっと読んでいた。世界中の大人が、いろんな言葉で書かれた子どもたちからの手紙を集計して、サンタさんに届けている、とそこには書いてあった。

 

その大人って、ボランティアなのかな、と思いつつ、私は「ハリーポッターの新しい本をください」と書いた。日本語で。

家を持つのら猫

研究室がある建物に、猫が住み着いている。

 

いつからいるのか、誰に聞いても正確にはわからない。十年前くらいかなあとか言う人もいるし、もっと前からいた気もしますよとか言う人もいる。さすがにまだ化けてはなさそうだから、十年より前からいた猫は別の猫なんじゃないかと思うけど。

 

研究棟に住む人間は毎年毎年入れ替わって、いろんな情報が更新されたり更新されなかったり、伸びたり薄くなったりねじれたりちぎれたりする。猫は引継ぎ資料の隙間をそっとくぐって、寝床とごはんとたくさんの名前を与えられて生きてきたんだと思う。

 

最近、その猫が新しい子猫を連れてきた。連れてきたというか、どうも迷子になったかどうかした子猫が、雨風をしのぐ場所を探すうちに古株の猫についてきてしまったらしい。はじめの一週間くらい、その小さくてぼさぼさの子猫は、人間を見るとすぐに逃げ出していた。でもしばらくすると戻ってきて、段ボール箱の隅にうずくまっているのを、行き帰りになんとなく見ていた。

 

猫が増えたという話は、同じ研究棟の中ですぐに広まった。あちこちの研究室の人たちが、てんでんばらばらに子猫の名前を考えているのが、ちらほらと聞こえるようになった。カリカリを入れるお皿がひとつ増えた。猫釣りおもちゃが、段ボール箱の近くに置かれていた。子猫が人間を見ても逃げなくなって、研究棟はちょっとした子猫ブームだ。

 

古株の猫を、今までただ「猫」と呼んでいた私は、少し困ってしまった。外階段の猫がね、といえば通じたのに、猫は二匹になってしまった。でも、自分で飼ってるわけでもない猫を、自分のお金でカリカリを買ったり、寝床の中の毛布を干したりして世話しているわけでもない、ただ生活圏がかぶっているから眺めているだけの猫を、名前を付けて呼ぶことは、なんとなくそぐわない気がした。

 

家の庭に遊びに来るとか、おやつの煮干しをわけてやるとか、そういう関係だったら、私はなにか名前を付けられたんだろうか、と考えたけど、私は結局「猫」と呼ぶと思う。たぶんそこには、猫とのちょっとした心の距離があって、その距離は動物への苦手意識とか、いくつもの名前で生きていくたくましい猫への敬意とか、よその子への遠慮とか、そういうもので構成されてるんだと思う。

 

今、誰かに二匹の話をするときは、「大きい猫」と「小さい猫」と言う。みんな、思い思いにつけた名前で、「ああ、○○ね」と猫たちを呼び分ける。その人たちの猫への距離は、私の猫への距離よりもずっと近いし、それは別にいいことでも悪いことでもないと思う。アパートのお隣さんとか、そういう感じかもしれない。お隣さんがほんとに猫だったら、人生楽しい気がするけど。

タブレット を 手に入れた

それも、食べるやつじゃない方のね。

 
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4月に研究室に配属されてからというもの、私のノートPCは研究室のデスクの上に鎮座している。時々、たとえば発表資料が作り終わらなかったり、映画が観たかったり、の理由によって家まで持って帰ることはあったけど、基本的にそれ以外は大学に置きっぱなし。ネットを使うくらいなら、スマホで十分だし。

 

だって重いのだ。フィールドに持って行ってそのままデータ入力したりできるようにと思って買った一キログラムちょいのウルトラブックでも、大学生のぺらぺらの鞄に入れて毎日行ったり来たりするには重いのだ。

 

それで、スマホからでも更新できるように、とはてなブログに移行したり、スマホEvernote入れたり、そこそこそれなりにはやってたんだけど、やっぱりちょっといろいろするには小さすぎる。重たいって言ったり小さいって言ったり人間は勝手だ。私だけかもしれないけど。

 

それで、タブレットほしいんだよね、とここ最近ずっと言っていた。ほしいものをあちこちに公言しておくと、いろんなアドバイスがもらえることを私は知っている。情報系の友達が、君の使い方ならSurfaceおすすめだよ、とか教えてくれたし、電気屋勤めの先輩が、タブレットじゃなくてノートだけどこういう機種買って家に据え置きにすれば、とか教えてくれた。情弱なので、ありがとうございますって言って、全部紙の手帳にメモした。

 

ある友達が、俺のタブレットあげるよ、って言った。俺のタブレットあげるよ。どんな金持ちだよと思った。よくよく聞いたら、タブレットが不調で新しいパソコンを買ったんでタブレットを手放すけど、一回壊したからどうせ売れないし、それでもいいならあげるよ、ってことだった。ありがたく安価で譲ってもらって、今タブレットはてなを更新してる。

 

パソコンを持って帰らなくても家で作業ができるようになって、めちゃくちゃ楽になった。ただの大きいスマホだと思ってたけど、ちょっとこれは画期的な発明だなあ。

乗り物酔いの話

気づけばずいぶん長い付き合いのような気がする。乗り物酔いとは。

 

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眼鏡をかけはじめて間もない頃だから、小学二年生の夏休みとかだと思うんですけど、祖父母の家に帰るのに何時間も車に乗ってた。今では自分で運転することもあり、あの頃の純真な気持ちもすこしばかり忘れ(あくまですこし、ですよ、たぶんね)、楽しい楽しい旅行というわけにはいかないけど、家族みんなで車で出かけるのがあのときはすごく楽しみだった。

 

ところが、車に乗ってるうちに、なんだか目の奥が変な感じになってきた。痛いわけでも、かゆいわけでもなくて、なにかにぎゅっとつままれてるみたいな。それが気になってると、今度は胸のど真ん中らへんがちょっと気持ち悪い。吐き気じゃないけど、ちょっと「うっ」とはなる。

 

乗り物酔いとの出会いである。

できることなら出会いたくなかった。

 

眼科の先生いわく、「視力の左右差が激しいので、眼鏡をかけると見えてるもののサイズがずれてて気持ち悪くなることもあるかもしれませんね」。それ以降も視力の左右差は広がり続け、レンズは分厚くなる一方で、乗り物酔いとも付き合い続けています。それがほんとの原因かどうかは知らないけど。

 

たぶん、乗り物のシートのにおいもだめなんですよね。電車とかバスとか、飛行機とか。あの独特なにおい、ちょっと嫌い。

 

こないだ船に乗ったときもやばかったけど、覚悟して酔い止め飲んでても死んだので船乗るときは気を付けてくださいね。さすがに黒潮には勝てなかった……まあ、頑張れば三日くらいで慣れます。