指の先から破壊光線

月曜の朝までに考えておくこと

LINEスタンプ「くらげさんスタンプ」を作りました

LINEにクリエイターズスタンプが登場してから、だいたい三年がたったらしいです。

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ずっと作りたいなあと言っていたくらげのスタンプを、三年越しにようやく完成させました。長かった。長かったっていうか、締め切りがないものを私は完成させられないということがわかってしまって、なんというかつらい気持ちです。

 

でも完成したのですよ!その名も「くらげさんスタンプ」。丸々としたおまんじゅうに触手の生えた、表情のとぼしいくらげが総勢四十匹。

 

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くらげさんがあなたを助けます。というより、私が助かりたかった。

 

LINEのない中高生時代を過ごせてよかったなあとわりと心の底から思っていますが、このご時世に日本で学生をやるならLINEのひとつやふたつ使いこなせなくてはお話にならないようだと気付いたのはもうン年前のことです。

 

会話を終わらせたいとき、返事に困ったとき、場を和ませたいとき、文字を打つのが面倒なとき、LINEスタンプは便利ですよね。あいさつとか、ちょっとしたかまってちゃんをするのにも最適。でも、人に送るからにはちょっとセンスのいいものがいいし、かわいいとなおさらいいですよね。

 

で、探すと結構あるんですよ。かわいくて便利なスタンプ。

 

でも、「ちょっと表情がびみょう」とか、「絶妙に使えないスタンプが多い」とか、いまいち決め手に欠けててなかなか買う勇気の出ないスタンプもあるし、絵柄がちょっとわたしっぽくないなー、みたいのもある。わたしはもっとモニャモニャしたくらげが使いたい、みたいな。

 

じゃあ自分で作ったらいいじゃーん!つって、できたのがこれです。

 

 

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わけあって名義は違う名前なんですけど、正真正銘私が書きました。かわいいね。くらげかわいいね。かわいいのでおこづかいに余裕があったらぜひ使ってください。一生のお願い。

 

store.line.me

映画を覚えておくこと

この間の記憶力の話となんとなく重なるけど、ちょっといいことがあったので書いておきたい。

 

映画の半券を貼っておくためのノートを作った。いや、作ったわけじゃないけど、まあどちらかというと作った。無印良品のA5の無地のノートの表紙に、「MOVIE」とでっかくスタンプを押しただけ。スタンプも無印良品のラッピングコーナーで借りた。ありがとう無印良品。今度アルミハンガーを買いに行く。

 

わたしは捨てられない女である。どのくらい捨てられないかと言うと、母が送ってきた荷物の中に入っていた、もう2年は確実に着ていない毛玉のあるセーターが捨てられないくらい捨てられない女である。同居人にも、もうすでに諦められてしまった。

 

「さばくちゃんさ、物、減らせば」同居人はいつも言った。そのたびにわたしは「君がわたしの代わりに、捨てるものと取っとくもの選別してよ」と返すのだけど、同居人は「やだよ、めんどくさい」と答えるのにも飽きてしまったらしくて、なにも言わなくなってしまった。ちょっとかなしい。

 

そんなこんなで捨てられないので、見終わった映画の半券もずっと取ってあった。去年見た映画のぶんは手帳に貼っておいたのでよかったけど、今年になって手帳を変えたら貼る場所がなくなってしまって、困り果てて財布の中に入れっぱなしだった。そんなにたくさんあったわけじゃないけど、月に1本か2本は映画を見るので、ずっとこのままにしておくわけにもいかない。

 

それで、ノートを買った。そのときに思い付いて、自分で作る名刺シートも買った。映画を見るのはとても好きなんだけど、映画の中身を覚えていられない。世の中には映画の感想をそれはそれは長く書ける人もいて、たいへん尊敬しちゃうのだが、わたしにはできない。家に帰るまでの間になにを考えていたか忘れるからである。だからその名刺シートに、見た映画のポスターを印刷してノートに貼っておくことにした。

 

これがなかなかの成功で、ノートの中身がとても楽しくなった。自分が覚えていなくても、ノートが覚えておいてくれるのは脳のリソース的にもかなりうれしい。問題は10枚で1シートなので10回映画を見るまで印刷ができないところだけど、それはなんとかしようと思う。

記憶力の話

使わなくなると、使えなくなるものがけっこうたくさんある。記憶力もその類いのものだと思う。

 

小学生の時、よく遊びに行く友達の家の電話番号を覚えていた。たぶん五件くらい。それから祖父母の家と、母親の携帯。クラスメートの誕生日も覚えていて、プレゼントを買いに行ったりした。祖父母はもちろん、いとこやおじさんおばさんの誕生日にはFAXを送った(めちゃめちゃ懐かしい響きだ)。手帳なんか持ってなかったから、全部記憶していた。語呂合わせなんかもなかった。数字の並びをそのまま覚えておく方が簡単だった。

 

あれから一昔ぶんの時間が経過して、電話番号は電話帳が代わりに覚えてくれるようになった。誕生日はfacebookが教えてくれるし、遊びの約束はLINEに残っている。世界史の年号は、なぜか語呂合わせと一緒に提示されて、数字そのものが覚えられるわけないでしょ、と言われている気持ちにさせられる。そんなわかりづらい語呂、ない方がましなんじゃない、とは言えそうにない。

 

数字を覚えておく必要がなくなって、わたしはだんだん数字を覚えなくなってきた。実験ノートを書くのに、間違えたらまずいので何度も確認するようになったのも原因な気がしている。何度も確認することが癖になっていて、一度見たものを覚えていられないのだ。

 

記憶力にもいろいろ種類があるけど、ストーリー性のあるものの記憶はまったくできない。無意味な数字の羅列みたいなものの方が(たとえ昔よりできなくなってしまったとしても)よっぽど得意だ。話を覚えていられないのは日常生活にはめちゃめちゃに支障があるけど、数字を覚えていなくても大してダメージはないし、できれば逆がよかったなあと思う。

 

話を覚えられないことのメリットは、同じ本を何回でも読めることくらいかもしれない。なにせ話を覚えていないので、何回読んでも同じように楽しい。

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靴下の話

この間引っ越しをして、前よりも断熱のいい部屋に住んでいる。

 

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ここのところ、日に日に暖かくなっているので、そろそろいいかなと思ってスリッパをしまった。毛足の長い、ふわふわでもこもこした冬用スリッパは、もう履かなくてもそんなに寒くない。それはいいのだけど、夏用のスリッパを買うのを忘れ続けているので、そのうち買わなくちゃいけない。

 

夏用のスリッパに求めることはいくつかあるけど、一番大事なのははだしで履いても気持ち悪くないこと。靴下嫌いとしては、家にいるときに靴下を履いていたくないので、スリッパははだしで履くものになってしまう。できれば冬も家に帰ってきたら靴下を脱ぎたいけど、それをしていたら家の中で霜焼けになりかけたので、やめた。

 

靴下が大事なのはわかっている。靴下なしで靴を履くのはちょっと信じられないし、疲れやすい足をサポートしたり靴擦れを防いだり、ちゃんと考えられている。でも嫌いなものは嫌いなので、履きたくなければ履かなくてもいい季節が待ち遠しくてたまらない。早く夏になってほしいし、毎日サンダルで出掛けたい。もっと言うと、インソールが合成皮革っぽいサンダルもそんなに得意じゃないので(そんなサンダルしかないけど)、毎日草履で過ごしたい。

 

暖かくなってきたとはいえ、まだ夜は冷え込むし雨も降る。寒帯から来た留学生もまだ靴下ははいているので、私もまだ靴下はしまわない。結局、こっちがどんなに嫌いでも、靴下が私の快適な生活をサポートしてくれている限り、私は靴下を買い続けざるをえないのだ。

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食べる

ここ数年というもの、食べられる量が目に見えて減っている。

 

一般的なやる気のない学生の一人暮らしなので、外食の回数はもちろん実家にいたときより格段に多い。そうすると、自分が食べたいものを食べられるだけ作ればいい自炊と違って、いつ行っても決まった量の料理が出てきて、嫌でも足りないとか多いとか考えることになる。

 

大学に入学したての頃、先輩に連れて行ってもらった信じられないほど大きい丼ものを出すお店がある。男子大学生というのはとにかくよく食べる生き物らしくて、新入生はその実態も知らずに連れて行かれてめちゃくちゃびっくりするし、たぶんそれを面白がるために連れて行くんだと思う。いわゆる「洗礼を受ける」というやつである。

 

十八歳だったわたしは、「まあ女の子だしね、様子見でね」と言われてその店で一番小さい丼を注文した。それでも、出てきた皿は自分の顔より大きかった。実家で飼っていたメダカのスイレン鉢を彷彿とさせるサイズだった。

 

そして食べきったわたしは、「ちょっと足りないです」と言った。たぶんあれがわたしの最盛期だった。今ではそのサイズを食べきるのにすら苦労している。

 

かつて食べられた量が食べられなくなるというのは、なかなか悲しいものがある。かわいいかよわいキャラならまだいいけど、こちとらお調子者のおもしろ枠女子である。食べきれな~いなんて柄じゃないのである。

 

もともと食べることにあまり興味がないので、どうせ量は入らないのだと思うとますます何を食べていいかわからなくなってしまった。友達に誘われてごはんに行っても、昔は余裕で食べきれた量がとてつもなく多く見えることにある種の絶望を感じながら食べなければいけないと思うと時々ちょっとつらくなる。何も考えずに食べるのが正解なんだろうな、と思いながら、今日の晩ごはんを考える毎日である。

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